神屋宗湛と毛利輝元

昨日の話について、さらに疑問が出たのでここに記す。

神屋宗湛の曾祖父は岩見銀山を開いた人物で、毛利家とは縁が深い。
宗湛日記にも毛利家の人間との茶会は再三出てくる。
お得意先といってもいいだろう。

慶長4年2月7日にも、宗湛は安芸宰相つまり毛利輝元の伏見での茶会に呼ばれている。

その時の道具は

セト水指
今ヤキ茶碗

である。

そして2月28日に織部に呼ばれ、「ヘウケモノ也」と感想を書き留める。
その時、織部の会に行った相客の一人が毛利輝元である。

輝元は翌日宗湛を招き、高麗茶碗の「ヘウゲモノ」を見せたのである。

これが「ひさびさに上洛したらすごいコトになっていた」のなら、判る。
でもそうじゃないんだよなぁ。

宗湛はこの時期ずっと伏見に居て、いろんな茶会に出ているのだ。
そして28日、29日に突然「ヘウケモノ」に遭遇することになる。


織部は自分プロデュースの歪み茶碗が焼き上がったので披露したのだろうか?
輝元はそれをみて自分のとこにも面白高麗茶碗があるよと宗湛を招いたんだろうか?

宗湛は織部の茶に招かれたのは初回である。だから変な道具にびっくりするのは有り得る。
だが、宗湛は輝元の茶には過去何回も招かれている。
しかも同じ2月に茶を振る舞ってもらっている。
宗湛は、輝元がそういう茶碗を所有していることを知らなかったんだろうか?

クソまじめな茶道しかなかった世界で、茶碗を「ヘウケ」させてももいいんだよ、というコペルニクス的展開がこの数日間に起きてしまったんだろうか?

謎は尽きない。