日本茶の湯文化史の新研究5

石州の話。

石州が本当に徳川家綱の「茶道師範」だったか?と言う話。

この定説の根拠となっている将軍への献茶史料は「徳川実記」の「厳有院殿御実記」巻三十一(以下「実記」と略す)の寛文五年(一六六五)十一月の条の記載である。
(略)
この日片桐石見守貞政并びに普請奉行船越伊予守永景を召れ、茶技を御覧ぜらる。(略)
(略)
この二つの文を文字通りに読むと、石州の茶技が優れていたが、一言も将軍の茶道師範であることは述べていないこと、今一つは家綱が石州の茶事をこの時初めて見たこと、そして船越伊予守永景も点前を上覧に供したことの三点が知られるのである。
(略)
先学の諸論は、この「実記」による将軍の献茶をして石州を茶道師範と定義している。
いうまでもなく、石州の茶の湯について功績は著しいものがあるが、この史料のみで師範であったとするならば船越伊予守永景もまた師範であったといえよう。

なるほど。

徳川家の公式記録である実記に「見せた」とあるだけでは茶道師範でない、というのはそりゃそうだ。

見せて師範なら長島茂雄昭和天皇の野球師範になっちまうもんな。

本当にそういう役割を与えたなら、それなりの記述が有るはずで…具体的には禄高という形で。三千家と大名の関係もちゃんと禄という形になっているんだから、石州にそれがないなら、師範ではなかったんだろう。