日本茶の湯文化史の新研究9
「烏鼠集」(略)は、元亀三年(一五七年)成立の四巻から成る。
茶道成立史上では初期のものであるが、管見では、茶人の衣裳について特に項目を設けて記述した茶書の最初である。
(略)
一 衣裳の模様、客は一段きれいに、主人は中程に裏衣ふのりうすくして、なよゝかなるよし、僧も准右、無紋よし、綾又ハ織物之結構なる悪し。又ハかけもよかるへし。
というわけで茶人の衣裳の変遷の話。
特に亭主については、「ふのりうすくして、なよゝかなるよし」として、「一段きれい」な主客の衣裳に比て、控え目な優しさを要求している。
初期茶道では、客が綺麗なかっこを。亭主は少しだけ控えめにするのが掟だったと。
あれだな。結婚式に白いドレス着ないみたいな配慮。
著者はこれを侘びでないと判断する。
次に「利休客之次第」(略)は、天正十五年(一五六七)、川崎梅千代が利休による客の心得を三十四ヶ条にわたって記したものである。
(略)
まず第四条に、「数寄に参時は」として「いと、はりをふところにたしなむもの也」とある。
それは、「かたびら、はかま、へんてつなどの不慮にほころびる事」があるからだとしている。ここでは、帷子、はかま、褊綴を通常の茶人の衣裳としている。
(略)
んで利休の時代もそんなには変わらず。
江戸後期に十徳が普及するまで状況はフォーマルなままだったという。
…でも、あれですよ。現代だってそんなに変わんない気がしますよ。女性が侘びた着物で亭主やるのみたことないもん。
男がやや侘びてるのは肩衣とかが裃とかがそもそも着物としてもはや染んでいることもあるから似たり寄ったりの恰好になるだけだし。
茶の湯の恰好と言うのは、やっぱどの時代でもよそ行きが基本なのでは…?