日本茶の湯文化史の新研究14

「道化」について。

宗及他会記の天正6年12月28日住吉屋宗無の会の飯銅茶入の表現から。

惣別、此壺カルク、サットシタル壺也、コヒタル心ハナク候、ウツクシクキャシャ也、ハナヤカニハナシ、タウケテツヨキココロハナシ
(略)
「飯銅の茶入」の評に使われた八種の用語のうち、容易に理解しにくいのが「タウケテツヨキココロハナシ」の「ドウケ」、すなわち「道化」であろう。
いうまでもなく「道化」は(1)人を笑わせるようなおどけた言語・動作、またそれをすること。滑稽(「日本国語大辞典小学館)が基本的な語の解釈であろう。
しかしながら、茶壺への批評にはこれらの解釈は全くあてはまらない。
「トウケテツヨキココロ」とはどのような美の表現なのであろうか。

この時代「道化」というあて字が成立していたか多いに疑問はあるが、「戯け」ならあったと思う。

また「タウケテツヨキココロハナシ」は「道化てもいなく強い心もない」なのか「道化ているので強い心がない」なのか「“道化て強い”心がない」なのか判断に苦しむ。

この後著者は「道化」ていない茶器の例を複数挙げる。意外に「道化」た茶器はないようなのだ。

その上で出した例が

ただ一例、「道化」ている茶器が、「灰被天目茶碗」である。

である。

「同他会記」の元亀三年(一五七二)三月朔日朝の針屋宗珍の茶会で使われた、この茶碗について宗及は、

イカツキ天目、赤台ニ、右カタツキ、始而拝見ナリ、トウヒクニ、ホタリトアリ、
此大カタナリ、上ヨシ、薬黒ニ、ソコクリ色ニ見ヘタリ、ナタレアリ、(中略)
、口ノツクリ見事ナリ、袋ツキワロシ、一段タウケタル壺ナリ

と詳しく拝見の感想を記している。
「灰被天目」はこの茶碗をはじめ、(略)いずれも内部は梨地色の光沢があり、全体に銀砂子模様があって美しい茶碗である。

著者はここで間違ってしまっている。
宗及の文が「一段タウケタル壺ナリ」で終わっている事からわかるように、これはこの席に出された円座肩衝に対しての評価なのだ。

とすれば「道化」たる茶器は、このように人々に訴える、ある種の印象的な美を持っていて、「こび」たところ、いわゆる「さび」に至らない華やかさ、人々の注目を得る面白さを持った、個性豊かな情趣をいうものと考えることができるのである。

それを現存する「灰被天目」から逆算してもと正しい答えは出ないと思う。


同日の針屋宗珍の円座肩衝について、他会記の重複部分では別の表現をしている。

一 圓座肩衝拝見申候、此壺トウヒクナリ、薬黒色ナリ、大カタニアリ、イヤシキつほ也、土カタノコトクニテ候、口ツクリヨシ

トウケタルとイヤシキが同等に語られている。

おそらくだが、アピールが強過ぎて下品になるほどのおふざけ感があるものを指すのではないかと思う。