日本茶の湯文化史の新研究15
「とうけた」に附随する、「ひょうげ」と「ひずみ」の話。
「道化」の感覚の意味を考える上で参考になるのが「ひょうげ」(剽軽)と「ひずみ」である。
「ひょうげ」は「ひょうきん」者、ないしは「おどけ」者の意であり、「どうけ」と殆ど同意であると考えてよい。
特に異論はない。
気になると言えば、茶の湯の世界には「傾く」という概念の導入が稀薄なことか。
「傾く」は慶長年間の流行語っぽいので、それまでに茶の湯の美意識が固定化したんではなかろうか。
茶歌舞伎ぐらいしか関連する用語が無い気がする。
そして、この二つの茶碗は同時に「ヒツミ」たる茶碗であった。
「ひょうげ」たる茶碗が必ずしも「ひず」んいた*1のではないようであるが、この双方の情趣は一つの茶碗に同時に存在してもなんら異質の感はなかったと考えられるのである。
「ヒズミ」の是非については、次に挙げる「宗凡他会記」によってようやく明白になる。
「同他会記」の元和元年(一六一五)十月二十日、京二条で織田有楽に茶を賜った。
この時、佐久間不干斎が所持した茶碗を評して、一 天目ハ不干取出被申候天目也、薬ノ色替タル所アリ、ヒズミタル見事ノ天目也、大キニモアリ
と述べている。(略)いうまでもなく、ここでの「ヒズミ」はこの茶碗を特色づける個性であって、この茶碗を監察した天王寺屋宗凡の詳細な茶器組合せへの批評の中でも、一際絶賛の言葉で表現しているのである。
美意識として心の位としての「歪み」の話としては特に異論がない。
だが、元和の頃ともなると、歪んだ天目を喜んでいたのかと思うと感慨深い。
官窯から出た天目は完全性の美の中に位置し、歪んだ天目など考えられないのが式正の茶だからだ。
*1:ママ