日本茶の湯文化史の新研究19


「ぬるき」の用例後半より。

片桐石州の「石州三百ヶ条」に、

肌あらきは黒目に持入よし、きめ細かなるは赤目に持入べし、但、つよき釜は黒く、ぬるき釜はさびいろよし、さびいろはつよきものなり

と記している。

「ぬるき釜」は「さびいろ」にするのがよく、「さびいろ」は「強きもの」であるから、「ぬるきものを強く見せるのである。

「強き釜」と「ぬるき釜」が比較されているのだが、「強き」と「ぬるき」は正反対の関係にあるわけではなさそう。
なぜなら錆びたぬるい釜は「ぬるく」て「強い」ものなのだから。

このように茶釜を錆色にするようになったのは利休の師武野紹鴎の頃からであったことが「紹鴎遺文(「茶道古典全集第三巻」)に、

釜ノ持ナシヨウハ、古今ト替ルナリ、
古ハイカニモ真白ミガキ立テ持ヲ本トス、
当世ハサビ色ニ持ヲテガラトス、
其ハミカカスシテアラウナリ

とあることから考えられるのである。

むしろこっちがびっくりである。

昔はぴっかぴかの釜でお茶をやっていたが、今どきは錆びてる方が手柄である。
磨かずに洗えばそんな感じになるって…という話である。

でも良く考えたら、風炉の式正の茶で唐金の風炉なのである。ぴっかぴかに磨いてもなんの不自然もないのだった。