日本茶の湯文化史の新研究20

茶の湯における「軽重」が、物質的な重量をいうのではないことは言を待たない。
が、それではその概念がどのようなものであったかというと、明瞭にされていないのが実状である。

という「重き」と「軽き」について。

二、三の例を引いて考察してみると、特に「軽き」は花の生け方に関する項目に「ふわふわ」と共にいくつか用いられている。
(略)
すなわち生け花に関する「かろき」は強い作意を排除したものであって、自然を自然のままに享受しようとする意識であることがわかるのである。

「軽き」が作意の排除を指す、という指摘.

「かろき」が茶書に頻繁に用いられるのは前述の花の生け方に関することと、茶器の感興に関する記載である。
(略)
惣別、この壺そさうニカルキ壺なり、(下略)
(略)
すなわち、ここでいう「軽き」もまた強く重い作意を排除した事への賛美であるといえる。

これもそう。

この「軽き」は判る。

美容院で「毛先は軽く流す感じで」みたいな時に使うのと同じ用法である。


しかし、反対に強い作意がある場合に「重い」というのだろうか?

言わない気がする。

美容院でも「毛先を重くして」とはいわないもんな。「きちっと揃えて」とか、もっと具体的な指示になる。

軽重が対になっていない気がする。
あくまで「軽き」だけがかるーい気持ちで使われる、そんな概念なんだろう。