日本刀は語る

佐藤寒山/青雲書院/1977年。

日本刀の話だが、江戸時代の偽物事情について面白かったので。

鎌倉中期に山城国粟田口派に藤四郎吉光という名工がいる。
吉光は短刀の作を最も得意とし、太刀の作はきわめてまれである。
江戸時代には吉光の作を名刀第一におき、各大名家は必ずといってよいほど吉光の作を秘蔵するに至った。

大名達には大名達の格式と言うのがあって、必ず持ってないと恥ずかしいアイテム、というのがあった。

しかし吉光の作刀が三百六十余大名の需要を満たすに足るだけ数多く存在するものではない。
その需要を満たすためには吉光の作でない吉光が必要なわけである。

つまり、偽物が必要になる、というわけである。ここまでは判りやすい。

しかもこれら、刀工粟田口吉光のまったく関知しない吉光の作を指している大名たちはもとよりのこと、世間もその真偽をせんさくして云々しようなどという愚をあえてするようなことはなかった。
これは本阿弥家の鑑定を盲信していたなどというよりも必需品として文句無しに所持しただけのもので、今日のような偽物意識はもちろん、これを帯用していささかも卑屈なものがなかったのは時代と環境の差であり、良さでもあるが、結局は吉光の短刀が大名としてはどうしても必要であったというのが最大の因である。

ただ、所持している方も贋作かどうか全然気にしなかった、というのが面白い。

ところが今日に至って、罪のない当時の生活必需品としての偽物が、何も知らないそれら大名家や公家の子孫達や、あるいは、それらの偽物を某大名家重代の名刀であるとして、また某華族伝来の名刀であるとして拝領したり購入したりした人々の子孫達が、みな正真まちがいないものと信じきって、時には事業の資金調達に、あるいは一家の興亡をかけての土壇場に立ち至って、やむなくこれらの迷刀を手放そうとして刀屋や鑑定家などのところに持ち込んで、はじめてその真実を知らされ悲嘆にくれ、あるいは先祖を恨み、不遇に泣くという悲劇を生み出していることは因果だとしても、同情に耐えない。

そしてそれは現代には通用しない感性だった。

大名が大名として必要な道具を換金しようなんて思わなかった筈。大名が存在しない今、換金しようとなって「贋作」が生まれた。

こういう大名道具として雪舟の掛軸とかがあったらしい。茶道具にもきっとこういうものがあったんだろうなぁ。