南方録と立花実山

松岡博和/海鳥社/1998年。

この本はとても珍しい本である。

南方録についての本は、たいてい南方録の内容を、禅的な視点あるいは茶史的な視点で分析したり検証したりするものである。

だがこの本は、立花実山がどういう一族の出身で、そこから南方録がどう広まったか、などを研究した本なのである。

細川開益堂発行の『南方録』は江戸において順次書写された写本を底本としており、江戸における伝写の経緯は、その末尾に記された書写の年月日及び書写した人物名によって知ることができる。
しかし筑前においてはほとんど書写されることはなく、現在のところ実山実筆本と寧拙本が知られるのみである。

ということで、南方録の伝播についての考察である。

弟の寧拙は知っていた。二天一流の剣士としても有名だし。でも嫡男道晟とか、孫種林とか、その辺まで掘り下げられるとは思わなかった。

筑前では南方録の書写は非常に厳しく制限されていた。
実山の死後に写本を許された笠原道桂が、江戸で旗本安藤定房に写本を許した事から江戸で爆発的に広まることになった。
そこまでは知っていた。

でも:

道桂は実山らと同じ立花氏一族で立花勝久という名であったが、後に笠原四郎右衛門の養子となって笠原家を継いでいる。

道桂が薦野立花氏の一族だったなんてしらなんだ。

…この本の知識は茶の湯には一切役に立たない。だが俺はこういう本は大好物である。なんという俺得か。