南方録と立花実山3

八歳のとき初めて藩に出仕して以来、三代藩主光之(一六二八〜一七〇七)の側近として重用され、特に光之が元禄元年六十歳で藩主の座を綱政(一六五九〜一七一一)に譲って後八十歳で死去するまでの二十年間は、光之の隠居付き頭取として仕えている。

実山は黒田藩三代目の側近であり、引退後、院政状態にあった20年の間も側近であった。
憎まれる立場である。
四代目は三代目没後4年で死んでいるので、もうちょっと生き延びれれば殺されずに済んだかもしれない。

実山の人物評については大きく分けて善人説と悪人説とがあった。
善人説は和歌・書画・茶道・禅に精通した文化人であり忠臣であったことを理由としており、悪人説は光之の後継争いの中で嫡子綱之を廃嫡に陥れたとする「五龍日記」、「筑紫秘談」の記述を根拠としている。

光之の嫡男綱之廃嫡に実山がどの程度関与していたかは判らないらしい。
実山が綱之廃嫡派であれば綱政からすれば恩人な筈だが…。

とにかく五龍日記では実山は極悪人にされている。
例えば、唐人町(福岡市中央区)の上原家という商家が三千両もする茶入を持っていることを知った実山は、これを買い求めようとした。
しかし断られたため、隣家に火を放って類焼させ、ドサクサに紛れて配下の者に茶入を盗ませた、とも記されている。
五龍日記」は浮雲斎一瓢の名で書かれた藩政批判の書物であって、実山と同時代の柴田風山の著書と目されている。
風山は貝原益軒に破門・絶交された儒学者であり、益軒・実山に対しては批判的な立場にあった。

面白いなぁ。3千両でまず買い取ろうとした事で金満を、断られて放火することで人非人さを表現しようとしたわけか…。

同時代の人に誣告本書かれるくらいに敵がいたというのは確実か。
まぁ真実はわかんないわけだけど。

実山をこんなに掘り下げた本他にあるだろうか。すげぇ。お茶の役には一切立たんけど。