南方録と立花実山4

「筑紫秘談」の伝える話。

光之の寵臣に立花五郎左衛門重根(実山)という者がいた。文才はあったが、「邪知姦曲」であった。綱之が英雄顕君であったので、実山は自分の思いあがりによって不正を働かんがため、光之にしばしば讒言をしていた。

で、綱之を廃嫡させたと。

ところが、元禄三年の春頃に光之にその陰謀を知られて、実山は身の置き所もなく剃髪して禅僧となった。
そして光之の跡を継いで藩主となった綱政は実山を不忠の讒臣であるとして、村民に命じて穂波郡須原村において撲殺させ、そのまま山中に埋めさせた。
その後綱政の嫡子吉之の死をはじめ、宣政の病気、継高の子の死去・早世と不幸が相次いだため、実山の祟りであろうと恐れられ、実山は殿守権現として祀られることとなった。

実山は死後黒田藩に祟り神認定され、鎮魂の為の社が作られた、というのである。

利休にあこがれた男が利休とは違った形だが主君から死を賜り、そして死後「菅丞相になると思えば」状態にまでなるとは…。


讒言の方はともかく、後半の殿守権現の話は実話だとのこと。

殿守権現は今も警固神社にあるらしい。

黒田藩に残った立花一族は、いったいどんな気持ちでこの時期を過ごしたんだろうか?