南方録と立花実山5

実山にとって「梵字艸」は、自らの身の潔白を証明するためのものでもあった。

ということで実山幽閉後の獄中記「梵字艸」について。

実山の謫居にあてがわれたのは、野村太郎兵衛祐春の家臣・村橋弥兵衛の家の離れであった。
(略)
六月十八日になると「家中の制」が定まったということで、筆や硯の使用を禁じられた。
子供の頃から文字に馴れ親しんできた実山は「我為にハ、しょく(食)をたつ(絶つ)にひとし」と嘆き、「人間、字を知るは憂患のはじめ」かと文字を書けない苦しさを綴っている。

うん。よっく分かる。
同情を禁じ得ない。

止むを得ず楊枝を噛み砕いて筆にかえ、薬にするからと偽って入手した墨を小盥の水に溶いて紙に浸し、警吏の目を盗んでは文字をしたためることにした。
その墨も乏しくなると我が血を加えて経などを書いた。
また「梵字艸」の名は、楊枝を噛んで書いた文字が梵字に似ていることから題したものだと記している。

ああ、なんという涙ぐましい努力と諧謔か。

とはいいながら三冊からなる獄中記「梵字艸」を書き残し、さらに息子道晟、弟寧拙らに与えるための自画像をも描いている。
また東林寺に残る「梵字艸」を詳細に見ても、終始毛筆を使いしかも墨をもって書かれたとしか思えない。
筆硯・紙の使用についてはかなり大目に見られていたのである。

いや、そうかもしんないけど台無しなこと調べるなよ…。