南方録と立花実山7

南方録の会記には「ス」とだけ書いた行がある。

これをどう解釈するかは長年の課題だった。

http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20091015

福岡の南方流の中心となっている博多円覚寺の前住持で、元南方会会長を務められた龍淵環洲和尚にお会いしたことがある。
その際「ス」は正確には「又」の字であって、「そして、それから」の意味である旨ご教示いただいた。
しかし円覚寺にある実山自筆本の「ス」は、第二画が第一画を突き抜けておらず、「又」とは読めないように思われたものである。

実山自筆本のその字が「ス」にしか読めないし、それを筆写した人間も「ス」として書いちゃうんだから、「ス」の解釈が重要なのである。

というか、宗啓の自筆とか実山以前の筆写本があれば解決する問題なんだけどね。

その後長く疑問に思っていたところ、(略)実山の父平左衛門重種の別荘で行われた歌会の歌集が目についた。
(略)歌と歌の間には「又」とはっきり記されており、かつて聞いた環洲和尚の説明が思い出された。

実山らは茶道に限らず切れ目や区切りには一般に「又」の字を置き、「そして、それから」の意味に用いていたのであろう。

なんだ、この話もう解決してたんじゃん。「そして、それから」なんて接穂なら、意味は全く無いってこったな。

しかし、実山の「南方録以外の筆記」に注目したのが著者しかいなかったんですかね?

お茶の研究者でないのが功を奏した感じなんでしょうなぁ。