南方録2

第2センテンス。

○宗易へ茶に參れば、必手水鉢の水を自身手桶にてはこび入らるゝほどに、子細を問候へば、易のいはく、露地にて亭主の初の所作に水を運び、脚も初の所作に手水をつかふ、これ露地・草庵の大本也、

手水鉢の心得え。

利休の茶では亭主が手桶を持って客前へ出、手水鉢に水を入れる。
つまり利休以外はそうではなかった、と言っているわけだ。

此露地に問ひ問ハるゝ人、たがひに世塵のけがれをすゝぐ為の手水ばち也、
寒中にハ其寒をいとハず汲はこび、暑氣にハ清涼を催し、ともに皆奔走の一つ也、
いつ入たりともしれぬ水こゝろよからず、客の目の前にていかにもいさ清く入てよし、

俗世の塵を落すためだから、新しい水が必要。
客前でそれを行う以上、亭主でないといけない、と言っている。

現代では迎付の際、手水鉢に水を入れる水音を聞き、亭主が中潜を出てくるの待つという手続きに変っている。
これは茶庭に中潜りがついてしまい、腰掛と手水鉢の間に仕切りができた影響だと思われる。
実山の時代に中潜りが無かったとは思えないのだが…。

但、宗及の手水鉢のごとく、腰掛につきて、あらば、客來前考へて入べし、
常のごとく露地の中にあるか、玄關ひさしにつきてあるは、腰かけに客入て後、亭主水をはこび入へし、
夫故にこそ、紹鴎已來、手水鉢の水ためは、小手桶一つの水にて、ぞろりとこぼるゝほどの大さに切たるがよきと申也と被答し

亭主が持ち込めるサイズの手桶で注げるほどの穴に留めておくのが手水鉢の上手な作り方だったようだ。

分類草人木や普斎伝書を読めばわかるが、手水は必ず使うものとは限らなかった。
中立までナシってことも有り得た。

もし南方録がなければ、手水は中立の際に汚れた手を洗う為の手洗…そういう認識から離れられなかった可能性がある。

ただし、手水で清めを期待するのはゼンじゃなくてシントイズムだよな。