南方録7

○或人、炉ト風爐、夏・冬茶湯ノ心持、極意ヲ承タキト宗易ニ問ワレシニ、
易コタヘニ、夏ハイカニモ涼シキヨウニ、冬ハイカニモアタヽカナルヤウニ、炭ハ湯ノワクヤウニ、茶ハ服ノヨキヤウニ、コレニテ秘事ハスミ候申サレシニ、
問人不興シテ、ソレハ誰モ合点ノ前ニテ候トイハレケレバ、
又易ノ云、サアラハ、右ノ心ニカナフヤウニシテ御覧セヨ、宗易客ヘマイリ御弟子ニナルベシト被申ケル、
同座ニ笑嶺和尚御座アリシガ,宗易ノ被申ヤウ至極ナリ、カノ諸惡莫作・諸善奉行ト鳥窠ノコタヘラレタル同然ゾトノ玉ヒシ也、

説明不要と言ってもいいくらい超有名なフレーズである。


南方録の面白さは、利休がこういった、だけでなくその前後もつけてエピソードとして語っていることで、凡百の茶書であれば

茶の湯秘訣
一夏は涼しきよう、
一冬は暖かなよう、
一炭は湯が沸くよう、
一茶は服のよきよう」

と箇条書きにするとか

「宗易、茶の湯の秘事とて、夏は涼しきよう、冬は暖かなよう、炭は湯が沸くよう、茶は服のよきようと語られ候」

と淡泊にするとかになっていただろう。

その場合茶聖 利休というイメージは形成されなかったんじゃないかな。