南方録8

○曉ノ火アイトテ大事ニス、
コレ三炭ノ大秘事ナリ、

「覚書」に秘事書いちゃうのはいかがなものか。
…「覚書」書いた段階での宗啓の伝授状況はどうだったんだろう?
秘奥まで進んだ後だったんだろうか?

易ノ云、曉ノ湯相ナレバトテ、宵ヨリ湯ヲワカス人アリ、
一向左樣ニテハナシ、鳥啼テ起テ炉中改メ、下火ヲ入、一炭シテ、サテ井ノモトヘ行テ清水ヲクミ、水ヤニ持參シ、釜ヲアラヒ水ヲタヽヘ、炉ニカクル、コレ毎曉茶室ノ法也、

暁の湯相といって、朝起きてから諸々の準備をしたお湯がナイスなのである。
前の晩から沸かしっぱにするのはよろいくないぞ。
そう利休は言っていた。

コノ火相・湯相ヲ考ヘテ、客モ露地入スル也、
客ニヨリ思ノ外早ク入テ、初ノ下火ノ炭、ヌレ釜ヨリノハタラキヲ見ルモアリ、
主客トモニ曉ノ次第、大凡ニテハ成ガタシ、

客もこれを考えて客入りしろ。難しいけどな。


この部分、茶の湯を僧侶の修業…まるで典座の様にとらえ、茶禅一味を唱えているのだと思う。
朝早起きして火を焚いて湯を沸かし…という毎日を送る事自体が清めであり修業であると。
室町の茶の湯の茶人の条件の一つが常釜だったことを考えると隔世の感である。


そしてそれを利休が語ったということは、利休もそういう生活をしているということになり、後に利休のことを清貧の侘び茶人の様に誤解した人が出たのもむべなるかなという感じである。