南方録10

○名物のかけ物所持の輩ハ、床の心得あり、
横物にて上下つまりたらば床の天井を下げ、竪物にてあまるほどならば天井をあげてよし、
別のかけ物の時、あしき事少もいとふべからず、
秘蔵名物にさへ恰好よけれバよき也、
繪にハ右繪・左繪あり、座敷のむきによりて、床のつけやう心得て作事すべし、

名物の掛物があれば、それにあわせて床を切りなさい。
他の掛物のことは考えんな。その名物が良きゃいいじゃん。
絵の左右も考えて床は建築しなさい。

……という床の間に対する掛物優先論。


「茶道四祖伝書」での利休は、松屋さんが鷺の絵にあわせて床の高さを高くしたのを批判している。つまり掛物に対する茶室の優先論である。大いに矛盾である。

後者がいまいちメジャーでないのは南方録があまりにメジャーであること、「掛物ほど第一の道具はなし」という南方録に閉じた掛物優先論がこの後すぐ出てきて整合性が高いこと、あと密庵床のような、特定掛物専用茶室が現存することの三つが理由ではなかろうか?

というか「茶道四祖伝書」での、掛軸の余ったトコは床に垂らしとけ、という利休はちょっとぬる過ぎる気がする。
軸にあわせて建築し直せ、という南方録の利休の方が求道的である。

…とりあえず南方録は松屋会記は参考にせず書かれたっぽいな。