典座教訓赴粥飯法

平野雅章訳。

茶道は禅の影響を受けている以上、禅宗での料理術、食事作法が茶道にどれくらい影響しているのか気になって読んでみた。

あまり茶道の作法に禅の直接的影響はないような気がする。が、魯山人門下にいた訳者の解説がとても面白く、禅の一端を垣間見る事ができた気がする。

結論としては、禅は茶道やってる人間がかじる様なものではない。禅はその修行に専一しなければ成立しないもんだわ。

うちの先生も言っていた。

「お軸の禅語を読み上げて解説するなんて、茶道家風情がやってよい事ではない」

確かに、禅僧たちの「文字」に対する執着を考えると、禅語の軸を一義的に捉えて講釈するなんて、身の程を知らなさすぎる。

ま、逆にお偉い禅僧達が茶人の求めで字を書いて与える、という行為も嘆かわしいと思うけどね。