数奇の革命 利休と織部の死

児島孝/思文閣/2006年。

出会い、というのは、タイミングも重要だ。

さて、この本の要旨は以下の通り:

  • 桃山時代、茶道の作法は誰かに習うものでなく、それぞれの創作だった。
  • 特に数寄屋の建築は自由であった。
  • 書院での茶は、草庵が窮屈だから広い書院に移ったもので、草→真の流れ。
  • 利休や織部は、創作家としての側面が権力に嫌われ、死ぬこととなった。


確かに桃山時代、茶道の作法は誰かに習う程は様式化はされていなかっただろう、と思う。
利休も、織部も、その他大勢の茶人も自分なりに創意工夫していたと思う。

元禄の頃になって市井で千家が、各大名家でその茶堂が、様式化と教育システムをつけて、ある程度縛りを入れた。創作できない人しかできない茶道じゃ困るからね。


…だから、どうしたんだい?もう、そんな知識は得てるんだ。遅いんだ。


あと、今も数寄屋の建築は自由だよ、多分。千家十職に数寄屋大工がいないのも、注文が自由すぎて数寄屋大工が主導権を取れないから成立しないんだと思ってるよ。俺は。


書院での茶は草→真の流れ。既にそんなもんだと思ってるぜ。


利休や織部が死んだ理由?正直良く判らん。茶の湯と関係ないかもしれん。そもそも昔の茶が創作のもの→自由な創作→危険人物、という論旨がいまいちすっきり来ない。


あと論拠の元とする資料の取捨選択も悪い。利休百会や武功夜話の様な、資料価値があるんだか判らん様な代物をベースに議論されてもどうかと思うぜ。


この本を読んで思った事。もう少し知恵を付ける前に読んでいれば、感心する内容だったかも。でも、俺はもう知恵を付けちゃったしな。

あと、この著者の人、現代の茶は窮屈で固定化されたものだ、とか先入観で思ってない?んで、桃山は自由であった、と。でも俺、現代の茶道もそこまでは不自由だと思ってないぜ。

自由にやりたい人は自由にやればいいし、自由にやりたくない人は自由にやらねばいい。両方まとめての自由がある時代だと思うぜ。

数奇の革命―利休と織部の死

数奇の革命―利休と織部の死

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