馬蝗絆の由緒

馬蝗絆がなぜその名で呼ばれるのか、は、今更説明の必要もないだろう。

だが、その由緒は本当だろうか?


東京国立博物館 特別展「茶の美術」のパンフにはこうある。

享保十二年(一七二七)に漢学者伊藤東涯が「馬蝗絆茶甌記」を書いてこの茶碗に添えているが、それによると、南宋時代の中国の育王山の僧仏照禅師から、平重盛におくられたもので、くだって室町幕府第八代将軍足利義政が、器にひびが入ったのを残念におもい、
(中略)
伝来は足利将軍家から吉田宗臨、角倉家、さらに江戸時代に室町三井家を転伝し
(後略)

馬蝗絆は良い茶碗である。だが、良い茶碗であるからと言って、凄い来歴、を正統化して良い物だろうか?


例えば。私が妙にいい茶碗を入手したとして、それに「東山御物ですよー」的な説明を付ければ東山御物として扱ってもらえる、というわけではないと思う。

東山御物」であったかどうか誰かが検証しようとすると思うし、その為には来歴も調べるだろう。


では、馬蝗絆茶甌記の記述の裏付けは誰かしたんだろうか?


私の調査はヌルいのでなんなのだが、馬蝗絆の使用例が見つからない。
君台観左右帳記にも載ってない。
平重盛足利義政の消息はあるのだろうか?あったら知られているだろう。


私には、馬蝗絆は突然江戸時代に現れた茶碗のように見える。


吉田宗臨は角倉家二代目。したがって来歴は仏照禅師→平重盛足利義政→角倉家→三井家となる。

伊藤東涯は光琳・乾山の尾形家と親戚の京都人である。
角倉家との関わりが深かったのではないか?

そして伊藤東涯は儒学者である。
儒学者ってのは博識の犬、みたいな連中だ。

角倉家に頼まれた東涯が由来書を書いて、三井家に売る際にいろいろデッチアップして箔をつけたんではないか?と私は疑っている。