竹窓茶話2 少

よきものゝ、すくないのは、愈々よきものである、多くなれば、必ず趣を失ひてそのよさは、隠れてしまふものである。
千利休は、堺の濱邊に庵を結んだが、見晴しのよき方に、雑木を植ゑて遮ぎり、圍いの入口の所にて、只少し海をすかしみるやうにした。
何といふ奥床かしい雅趣であらう。
(中略)
見晴を求め、眺望を貪るのは、只官能の慾を縦にせんとする淺ましい心根である。
官能の満足以上の歓喜を未だ知らない人である。
(後略)

見晴らしを拒絶するのは、見晴らしを味わい尽くした後ですべき事ではなかろうか?

ちゃんとした感動を知らなければ、感動を抑制する(ある種変態的な)感動は得られないと思うんだ。

官能の満足の歓喜を知らない人には官能の満足以上の歓喜を知れるわけがないんだしね。


…ちなみに利休さんもあらゆる面で奥ゆかしい人ではなかった。

最低3人は女性と関係していた筈だが「女なんてブルカの隙間から見れればいいんですよ」的な事は言ってませんしね。