茶碗談義5 名碗の識得

茶碗の味。即ち茶碗の美しさ、善さ、趣きを理解し樂む事を一般には鑑照とか觀賞とか云ふが、之等の言葉は其眞諦に觸れて居ないと思ふ。
(略)
すなわち茶碗の味は視る計りでなく、觸れて知る事も多く、之を使つて茶を喫むで見て覺る所もある。
(略)

茶碗は美術品ではないので、ただ観賞するだけでは勉強にならない。
触れて、味わって覚える部分がある。

然らば茶碗の識得は如何にして成立するかと云へば、結局茶碗を多く見る事である。
否一歩進んで云へば、茶碗を多く且永く使用して見る事である。
(略)
日頃は何とも思はずに茶を喫んで居た茶碗の中に、どうしても捨てられぬ茶碗が出來、どうも茶の甘く呑める茶碗と然らざるものが發見される。

それには、多くの茶碗を見、そして使う必要がある。

そういったことをしていると、見る目ができて、ある日捨てられない茶碗、茶味のよくなる茶碗がわかってくる。


ということらしい。

なんとなくはわかる気がするが、「使う」という観点では全然精進が足りない自分としては、「そんなものなのかなぁほんとうかなぁ」と言った気分はある。

あと、あれだな。安茶碗ばっかり使ってても、安茶碗の観賞眼が育つだけかもしれないしー。