宗旦聞書2 茶を弄ぶ事

一、夫茶を愛する事和漢とも古より最重し故に鹿苑院殿数寄の道を省略し玉ひ代々これを弄びたまひ爾来其の流を汲人多しといへども平人のたやすくもてあそぶべき事に非ざれば利休に至つて物毎に其理をすこし博く学びてつゝまやかに知り真を以て草に改むといへどもしかも其古風撓本意を失はず或は飾をとどめ法を略し侘人の弄にして楽居の興となせるとなり。

茶を愛する事は日本でも中国でも昔からの事で、足利義満は数寄の道を省略し足利将軍家は代々楽しんでいた。
多くの人がその流儀を学んだが、一般人には難しいもので、利休に至って真を草に改め、侘人にもできる様にした。

足利義満はコレクターではあったが、茶の湯の方はどうだっただろう?少なくもここでは東山殿+珠光の創始伝説は採用していない様だ。利休の超人性を強調する為だろうか?

しかし、それでは利休出世以前からいた侘び茶人達の存在が説明できないのだけれど…。

一、古への茶の湯は皆聖法にして故実を宗として掟正敷してみだりにせず不善のたはむれをなさず不信をいはず内外さはがしからず偏に善心を求め天道をつとめ心清浄にゆたかなりしを近代猥に用ひ来りなんとなく茶の湯の風俗衰へ今は賤法となれりよく試み知るべしとなり

昔の茶の湯は聖なるルールで正しいものだったけど、最近は卑しくなってしまった。


いにしえっていつの事だろう?少なくとも桃山の茶人はここに書かれた偽善めかした事を気にしてお茶をしていなかった様に思える。

宗旦の時代には室町のお茶はもはや伝説となっていたのか?それとも宗旦の述べた文ではないのか?