宗旦聞書3 茶を弄ぶ事2

茶の湯は何のこしやくもなく素直に向ふ所の理に叶ひたるがよし
事多く珍ら敷事を好み道理に当らぬ仕ぐさ見せたれなる目に立つ事を嫌ふ
珍敷からぬ事を自然の働きにて珍しくも思はれ心を興するを勝れたる茶道者と云となり

茶の湯は変に工夫せず素直にやんなさい。
いろいろ変な事楽しむやりすぎて目立つことは駄目。
珍しくもない事を、自然の働きで珍しく感じてもらうのがナイス茶道者。


フツーの事でも感じ入ってもらう、っていうのは侘び人として当然望むところだが、そういう理想はどうやって達成すればいいのかの説明ってのは、まぁないんだよなー。
人間力

一、茶の湯はさし向ふ理を当座々々にさばき時々刻々に移り替り四季転変することを習こそ面白けれ何も同じ様にするは琴柱に膠するの類也これ下手の所作ぞなづむ事なかれと也
(後略)

前半は、一期一会の茶の湯の心得にも通じるが、四季に応じるのは時代が早過ぎないか?宗旦の時代はまださほど四季に応じて趣向を変えていた時代でもないと思うんだが。

あと後半は、「茶の湯常の如し」を貫いていた祖父利休をディスってんの?って感じがしなくもない。

このあたりやや宗旦の時代より新しい思想な気がするなぁ。