日本喫茶世界の成立5 現代−新しい喫茶世界
本書は一貫し、歴史に残らなかった喫茶文化…ローカルに生成され消費された煮だし番茶の世界を語っている。
終章は、現代に至るまでにどうやってその喫茶が滅んだのかを描く。
結論から言うと、開国後輸出品として増産された緑茶(煎茶)が、海外市場で締め出しをくらい、国内市場に転換せざるを得なかった。その結果、地方地方の番茶は緑茶に駆逐されてしまったのだと言う。
煎茶はその後、戦争やそれにともなう茶園面積の減少、労働力の不足、価格の低迷などさまざまな事情に翻弄されながらも、おそらく昭和十年代のあう時期までには、確実に全国制覇を果たしたと考えられる。
もちろん、それを明かすものは実際にはつかめない。
富山県朝日町の蛭谷で、それまで単に「お茶」としか呼んでこなかったバタバタ茶を、改めて「バタバタ茶」と呼ぶようになったのが昭和十年代の後半だったとされることは、一つの象徴的な事実と言ってよいであろう。
家でほっこりお茶を飲む時は大抵煎茶だが、煎茶道の影響はみじんも感じられない。
ましてや抹茶道をや。
ぼくらの知っている抹茶道煎茶道以外に、古くから日本には茶の文化があった。その使っていた茶がローカルの番茶から大量生産の煎茶になった。それが現在の茶の間の喫茶である。
確かにそう思わないとしっくりこない気もするねぇ。