日本喫茶世界の成立4 抹茶の法と煎茶の法

第3章は抹茶と煎茶について。

つまり利休だとか売茶翁の話。

ここまで外史的な茶文化を語って来た著者だが、一見トーンダウンした様な印象になる。

茶における珠光の趣旨は、今日風に言えば、茶において人はみな同等であらねばならぬということであったように見える。
(中略)
言葉の不用意さを恐れずに言えば、それはひたすらに激しい現実否定の精神だった。

煎茶家の始祖とされるのは売茶翁こと高遊外である。売茶翁もまた茶を単なる飲料としてではなく、精神世界とのかかわりを持つものとしてとらえ、しかもい文雅の素養で支えるべきものとして考えていた。

まぁある意味、通り一辺倒の話。


しかし、章の最後の一文で話は大逆転する。

遊外が批判したように、茶の湯が単なる形式に流れるようになり、それに抗って新しい煎茶趣味の世界が生まれ出ても、しかしそれはまだ一部の階層にのみ行われはじめただけだった。
そしてこの国のほどんとの人々は、それとはまったく違った喫茶世界――番茶の世界にいたのである。

ここでいる番茶は、地方地方で生産された茶を鍋で沸かす煮だし茶の事。ブクブク茶とかのローカル茶の世界。


点て茶(抹茶)や淹れ茶(煎茶)と別の世界が一般大衆には広まっていた、というのが著者の考え。
ちゃんと外史の方に目が行ってるでぇ。