千利休

唐木順三/筑摩書房/1963年。


千利休とはどういう人物か」を研究した本。


今の視点で見れば、論旨は観念的に過ぎるし、資料の取捨選択もどうかと思う部分もあるが、鋭い視点で色褪せない部分はある。

むしろ唐木順三という人物は、千利休を通して何を語りたかったか?を考えたい本かもしれない。


さて本編は風姿花伝から話はスタートするが、侘びと寂び、そして権力者との係わりについて説明するためのものなので、ざっくり読まなくて良い。


まず利休をめぐる時代背景としての先人の評価から。

若し強ひて世阿彌の義滿に對して果たした役割を茶の方に求めるならば、義政に對した珠光のそれであらうか。
(中略)
珠光は奈良春日社の社僧村田杢市検校の子である。
十一歳で北市の稱名寺に入り、出家の身となつて珠光と名乗つた。
彼は青年時代闘茶に耽り、寺役を怠り、ために寺から追放されて諸國を流浪し、旅の先々で闘茶の判者をつとめたといふ。

こんなに詳しくも無頼な珠光像は珍しいかもしれない

現代の類書では「その話の出展は?信憑性は?」みたいな事を言われそうだ。

そういう意味で、この頃は資料も口伝も最大公約数的に著者に都合良く使われていたといえるんじゃないだろうか?