戦争と茶道6 松屋會記を讀む

本書の巻末ふろくには、著者の茶書研究である「松屋會記を讀む」が載っている。

むしろこの研究を発表したいが為、戦争礼賛の茶書を書いたのではなかろうか?


著者は松屋会記を主に二つの視点で調査している。


一つは客の顔ぶれについて。

もつとも本記の久政時代は堺と大和を主とし、それも多くは富豪階級に属し(中略)冊子の後半となるに及び、漸時堺衆は隠れがちとなり、富豪にも(中略)京人が登場してくることである。
これはとりもなほさず當年のわが國勢を動揺しかねまじいほどであつたその財力、寶力が併せて堺の浦から消え去り、引いて名物道具も當時の權力者乃至他地方の富豪に吸収され、殘り少くなつてゐることを示してゐるのに外ならぬものである。

もう一つは道具の顔ぶれについて。

通讀して最初に著しく氣のつくことは久政時代に道具の少なかつたことである。例へば(中略)
即ち久好の時代からはある階級以外は墨跡も大徳寺ものに掛け代へられ、茶碗も外邦ものを總稱する「高麗茶碗」が特上のものとなつて、今燒茶碗、黒茶碗が現はれは始め、花活も舶載の古銅や青磁から竹の筒とんつて來てをり、いはゆる大名物乃至それに近い名器は、全く民間から後を斷つといふても過言ではない状態を示してゐる。
史家のあるものは遠州の數寄道具を新らしく評價ずけ、道具茶を盛んにしたのは諸大名の財力をこれによりて卑弱ならしめる為めであつたなどとも論ずるけれど、その當否はとも角事實に於て、もし遠州がかの中興名物や七窯の撰定などをせなかつたならば、茶会は層一層道具の不足に困惑したであらうことが、本書を通じてあり/\と察せられるのである。

60年以上前にこういう考察をしていた人がいたか。

口伝のめちゃめちゃな茶史が横行したかと思えばこういう考察があり、近代数寄者の道具の茶があり、南方録を偽書とする人と逆にかたくなに信じて研究に邁進する人があり…。戦前の茶、テラカオス。