茶道聖典8 荒木攝津守宛の傳書

天正15年5月の利休宗易(判)の奥書きのある伝書。

一、先づ、床に畫か花か、一つ置き催して待ち、炭置きて、朧なれども、續がずして來客を相待つ也。

茶道四祖伝書の利休居士伝書にも同内容が収録されている。

千利休全書の解題に云う。

【解題】本文は堀口捨巳氏の蔵本を借寫した。これと同じものが松山吟松庵註の「茶道四祖傳書」の利休傳の中にもあるが、多少の差異がある。
収録に當り、更に松山翁に懇請して校合して頂いた。

熊倉功夫補訂の茶道四祖伝書(昭和49年版)の注釈にこうある。

「先床ニ……」この文より四一頁「右之一巻ハ……」までが『荒木摂津守宛利休伝書』として伝わっており、『利休全集』に収められている。(原蔵は堀口捨巳氏)
但し大分差異がある。不明の部分を『利休全集』本によって校合した。

駄目じゃん、こういう相互参照許しちゃったら、どんな創作も史実にデッチアップできちゃうよ。原著で不明ならば不明のままにしようよ。熊倉エ・・・

「え?直接利休と会っていた松屋さんが収録したならモノホンじゃね?」と一瞬思えてしまうのだが、松屋会記はわりかし同時代資料っぽさはあるものの、再編集を受けた茶道四祖伝書はまた別。

特にこの伝書の入っている部分は少庵の伝書やらいろんなのがごっちゃに入っているので、後代に混入した可能性は高いと思う。


さて内容だが、「こんなの利休のじゃねーよ」と断言できるところは別にない。

座敷に入りやうの事は、

と、座敷の話が多く、躙りの話とか出ないが、荒木村重にこういう物を渡せたとしたら天正6年以前なので、天正10年以降の利休の趣向が含まれていなくてもおかしくはない。

一番不思議なのは、荒木村重程の人がなんでこんなものを利休から貰ったのか、という所かも。