茶道爐邊夜話27 本當の手前

(略)
茶の手前は長らくの間に洗練され、最も無駄の省略された動作であつて、何時かも能率を研究して居る心理學者が非常に譽めて居た等から考へても却々優れた手續である。
處がこれを目して徒らに手續が繁雑であると批難する人が相當多いのだから面白い。

茶の湯の批判として、わけの判らん繁雑な手順だ、というのはよく聞く話だ。

何事でも同じであるが、其の道に入つて始めて其の眞相が明らかされるので、局外者の言は理論の筋が通つて居るやうで、實際に行ふと不都合なことが多いので、茶の湯でも、手續の繁雑に見えるのは、實際に手前を習つたことのない人で、現行の手前は或一部には改善すべきものが知れないが、殆んど全部は何等改善の餘地ないのみか、下手をすると改惡になり、點茶の目的を達し得ないのみである。

素人は「繁雑だ」というが、それは素人考えだ、手前に無駄はないと著者は言う。

私も手前にそんなに無駄はないと思うけど…実は、簡単に反論できるんだぜ?


「点て出しはどうしてそんなに早く出せるの?」


相手の反論には「やっぱ見せる為に繁雑にしてるんじゃん」とか「人の見てないとこじゃ省略しちゃうんだ、へー」とか言っておくとよろしい。