茶会記の風景16 川上不白

不白の時代の茶の湯について。

さて、つぎに不白が茶会に用いた茶具のうち、まず掛物からみていくと、禅僧の墨蹟と茶人の書が圧倒的に多く、古筆や絵画は少ない。
また墨蹟といっても(略)大徳寺僧が大部分を占める。
茶人では千家関係に限られ、織部遠州・石州といったところが皆無なのが注目される。
茶杓においても同様の傾向がみられ、千家関係以外作の茶杓は用いていない。
茶器では唐物が少なく、国焼が多い。
(略)
茶碗においては朝鮮物と楽焼の多用が目立つ。

茶杓に関しては「○○作」の表記が多く、茶杓にあまり銘がない、という点も加えて欲しいところ。

で、著者の気づいた点が四つ有るが、一番重要な三番目を紹介したい。

第三に、茶会の様子、とりわけ茶具の用い方がほぼ現在の姿になってきたといえる。
掛物における茶匠の増加、家元作の花入や茶杓の多用、そして茶具の伝来の重視などが目立ち、極端な言い方をすれば、不白の茶会に二十世紀の家元の書か好み物を一、二点加えれば、そのまま現代の茶の湯の会記と見まがうほどである。

結局、不白らが始めた千家の茶の湯の改革が、現代の茶の湯のスタートになった、というのが、茶会記からも確認できたって事になるんじゃろうな。