江岑宗佐茶書11 江岑咄之覚 枝打ち

北向道チンより紹鴎の路地之木見へ申候、紹鴎エタ打被申候

北向道陳の家から紹鴎の露地の木が見えた。
紹鴎は枝を打たれた。


これだけの記述であるが、私は「壷中天の仕掛けは外から見えちゃいけない」という美意識が成立していた、と取りたい。


初期茶道の記録である宗長日記には下京茶の湯の項に「門に大なる松あり杉あり」とあって、むしろ仕掛けが外から見えていた筈だが、それでは客はびっくりできない。異界を訪ねられない。

しかし紹鴎の頃には(…あるいは紹鴎は)仕掛けを敷地内に封じ込めることで、異界を作り出すことに成功していた…ということじゃなかろうか。