尾張の茶道12 茶料理と茶菓子

杉浦勝一。

旅館八勝館主人の書いた名古屋の茶料理と茶菓子…と思いきや、むしろ自身がもてなした茶人達の想い出集。

松永さんは或る時期から急にお茶をお始めになったお方で、そのお茶は浅いとか深いとか申される方がありますが、押えるべきところはピタリと押えていられた方だと思います。

みたいな感じ。

魯山人さんの料理は茶料理としては角が立ち過ぎます。
本当に分る人にでも、それ程分らない人にでも誰にでも最初アピールします。
それだけ料理に説得力を持たせようとすると勢い派手にならざるを得ません。
魯山人さんの初めの頃の陶器は茶料理にピッタリと使えました。ところがだんだん後になる程、器が大きくなりまして、実はそれが面白いのですが、面白過ぎて、お茶事にそれ程面白くてよいのかということになります。

魯山人ゆかりの宿で推してる割に、口調やさしい毒舌である。

茶料理というものはあくまでも茶事の中の一部であるということを肝に銘じなければなりません。
料理だけが茶を離れて独り歩きするようなことは厳に慎まねばなりません。
(略)
分相応に出過ぎぬようにと申されております。そういう意味からでも茶料理というものは料理屋まかせであったはならないと思います。
もう少し皆さま方の家庭の料理が入ってもよいのではないかと思います。

でも示唆はいちいち納得できる。

また、興味本位にわけの分らんものを出そうとして苦心される話を聞きますが、これはどうかと思います。
「これは何かな?ああ、そうか」という程度がよいところではございませんでしょうか。分らなくて亭主の説明を聞いてやっと納得できるというのは少し行き過ぎではないでしょうか。

特にこれなんかはお茶料理の話だけでなく、趣向の話として読んでも納得できるものである。