奈良大和路茶の湯逍遙2 奈良時代の料理と菓子
奈良時代に中国から穀粉(米粉か小麦粉)に水を加えて捏ねて各種に造形し、ゴマ油で揚げた「唐菓子」が伝わった。
(略)
今でもその名が残る煎餅は、日本の駄菓子の代表ともいえるくらいポピュラーなものだが、そのルーツをたどっていくとこの奈良時代に伝来した唐菓子にたどりつく。
唐菓子→煎餅の流れ自体には異論はないが、現在も伊勢神宮に伝わる小麦粉系唐菓子に言及がないのは、奈良にこういった神饌としての唐菓子が残っていないからなのかなーと邪推したり。
また、饅頭は鎌倉時代初期に中国人の林浄因が日本に伝えたと伝承され、浄因は奈良に住んで奈良饅頭を作った。
奈良時代に、舶来菓子が奈良に展開していた。
これは分る。
しかしそれ以後の時代に、菓子が作られ、後にはかなり贅沢な茶の湯も流行していた奈良。
都だった時はともかく、都でなくなった後の奈良の豊かさの秘密が知りたいわ。
寺院いっぱいなトコに寄進された荘園のおかげなんじゃろうか?