茶道入門2 珠光時代

木下桂風さんは、

今ではどこの茶舗でも機械挽きとなり電力をもって臼を廻しておるので、茶があまりに細か過ぎてまずくなりました。
抹茶はやはり手挽きに限るようであります。

みたいななんとなく為になることも書いてくれますが、歴史認識はいまいち不思議。


ということで、桂風の教えてくれる珠光のエピソード。

珠光があまり茶に熱心となり茶器を愛好するので、師の一休和尚は、ある時彼の秘蔵している茶碗を如意でうち割ったところ、珠光は泰然自若として少しも同時なかったので、一休和尚も彼の茶の湯に親しむことを許したのであります。
そこで一休和尚も珠光に圜悟の墨跡(軸物)を授けてやりました。

一修行僧が秘蔵の茶碗とは、いかなる収入源があったのか。

あと、この流れだと圜悟の墨跡は賠償金代わりみたいなんだけど…。

ここにもっとも注目すべきことは、さきにのべました能阿弥が開いた東山流の茶には、美と礼とが付随しておりまして、いささか、きらびやかではありますけれども、大名茶であり貴族茶にして、とうてい庶民の親しむべき茶ではありません。
ところが珠光の創造した茶には、礼と侘びがありますから、大衆的であるとともに進歩的であります。
つまり能阿弥の茶は高級な遊び事でしたが、珠光の茶は趣味を一段飛び越えた茶の道、すなわち茶道という奥深い芸術のひらめきを見たのであります。

ここ、非常に重要です。


珠光は茶の湯の祖、という事になっています。

珠光は足利義政に見出された、という形で珠光も茶の湯も権威付けされています。

しかし、足利義政は政治力のない趣味人です。
御物の趣味から言っても、とても侘び茶の祖と結び付きません。

結び付かないものを結び付ける為、能阿弥が犠牲者になっています。

でも、これだと珠光は義政に見出されない筈なんですけどね…。