淡交増刊 寛永文化と茶の湯5 光悦の茶碗
赤沼多佳著。
光悦を語る場合、いつも引用されているものに『にきはひ草』と『本阿弥行状記』がある。
ことに『にぎはひ草』は、幼い頃より光悦に親しみ、光悦を深く慕っていた灰屋紹益が記したもので、その文中には茶人光悦の姿がこまやかにえがかれ、光悦の作陶への心情をも充分に窺うことができる。
灰屋紹益の語る光悦像は以下の様なものである。
(略)我身をかろくもてなして一類眷族のおこりをしりそけん事を思ひ
住宅麁相にちいさきを好みて一所に年経て住る事もなく
茶湯にふかくすきたりけれは
二畳三畳敷いつれの宅にもかこひて みつから茶をたて生涯のなくさみとす
これだとすんごい侘び数寄な感じがする。
でも、灰屋紹益にとっての「住宅麁相」だもん。
吉野太夫を身請しちゃうお大尽だもん。「豪商の目から見て貧乏そう」なバイアスが掛かってるかもしんないよ?
しかし一方、光悦の作行きに対する強い共感も各時代にあったようで、いわゆる光悦風の茶碗が数多く造られている。
光悦は忘れられた存在で、森川如春庵が目利きで…みたいな伝説があるんだが、忘れられたことなんてあったんだろうか?