淡交増刊 寛永文化と茶の湯4 信仰と芸術の人

赤井達郎著。

本阿弥光悦の話であるが、気になるのは別の点。本阿弥自体の話。

妙本から数代の本阿弥家の働きはほとんど明らかにしえないが、室町時代も末、天文法華の乱になると「後藤・本阿三、茶屋、野本等壇那已下三千余、西陣・東陣を支えたり」といわれるように、京都の上層町衆としてはなばなしく登場してくる。

なんで本阿弥家は上層町衆をやってられたんだろう?

本阿弥家が三千の1/5くらい出していたとして、兵を600人出せる…というのは、2万石の大名と変わらないのだが…。

後藤の様な金工房経営や茶屋の様な豪商なら分る。

本阿弥家は刀の目利きと刀装具という、受注生産の世界の人間で、右のものを左にして儲けるというより、もっと労働集約的な仕事じゃないだろうか?

そこまで金持ちになれる要素がないような気がするのだが…。