茶道規範36 聞書 不時の茶の湯の事

茶道便蒙抄、聞書ともこうある。

一 何時にても隙次第に參り一服たべ候はんと兼て約束致し置か
又は亭主の數奇者なるを聞き及びて不圖參る事なり。
(略)

不時の茶の湯は、相手が有名数寄者でない限り「いつ来てもいいよ」という事前の約束が必要なわけか。
…まぁそりゃそうだよね。推参過ぎる。


茶道便蒙抄:

一 座中床に懸物花有りとも其儘置てよし。
(略)
客案内を云入ざる前近く花を入れ客の為にまうけたるやうならば必花を取入て座敷に置くべからず

聞書:

客案内を言入ざる前近く花を入客の為に設けたるやう見えなば必ず取入て座敷に置くべからず此事當流の眞面目なり
無理に取揃へ樣子を繕ふ事甚だ嫌ふところなり

便蒙抄は「わざわざ客の為に入れた様に見えたら、花を飾るのはやめなさい」で、聞書は「わざわざ客の為に入れた様に見えないなら、花を飾るのはやめなさい」で、逆の事を言っている様な気がするのだが…私の読解不足か?

つづけて聞書:

此故に數奇者茶人の嗜む事平日心がけ廬地掃除座敷等に至るまで肝要の事なり。
唯世の中の交りのために茶をするといふ者多くは眞實の數奇にあらずと宗旦翁是をうらみて
  茶の湯かと見れば數奇にはすきもせて
   人の為にてすくと見えけり

當代は湯を沸し置人稀なり。又夫よりも甚しきを見れば茶嫌ひにて茶の湯する者あり
酒店の下戸とは又異るべきか。をかしき事也

多分、宗旦はそんな事言っていないと思うが、大正時代の「職業茶人」としては、言いたい気持ちはわからんでもないな…。