茶道文化論集28 会記

奈良の松屋源三郎三代の茶湯日記が『松屋会記』だが、『天王寺屋会記』は堺の天王寺屋津田氏三代の茶湯日記である。
ともに、茶の湯の成立した天文時代にはじまり、茶会記の草分け的なものだし、三代にわたって書き継がれたという点が似ている。

というわけで、天文年代にはじまったという、茶会記の風習。

まず、会記の既述について、『松屋会記』の例にくらべて見るとよくわかるが、一定のきまりが成立していたことが知れよう。
宗達も、それに習熟したので、茶会記をのこすことになったのだろう。

茶会記は、その成立初期から様式化が完成していた、というのが不思議。
ふつうは過渡期のあれこれ試行錯誤があって、はじめて完成すると思うのだ。


思い付くのは、実はその前から茶会記の成立ははじまっていて、試行錯誤しながら徐々に様式化が進んでいたけど、歴史に残らなかった、ということ。いいものしか世に残らない、というパターン。

他に思い付くのは、初期の試行錯誤による成果物は、後世完成した形態に編纂されたので、結果ごく初期から後世に様式化されたように見えている可能性。

まぁ、本当にごく初期から一人の思い付きで完成していた、という可能性もないではない。
その場合、その人が強力に指導し、完成形態でひろめれば、試行錯誤はないってことになる。

松屋さんが堺に行ったのが天文十一年。
津田宗達が茶会記を書きはじめたのは天文十七年。

松屋さんが方法論を完成させ、そこに伝えた可能性もあるなぁ。