松花堂昭乗10

昭乗の茶室。

昭乗は閑雲軒といふ席を作つた。
此の席に就いては「男山考古録」の記録と西村氏の所説が多少異つてゐる。
前者によれば閑雲軒は瀧本坊の客殿と北の奧鳴門の間(十二帖)との續き軒合せの所で一間半四方の一室を構へたのである。
床は間半にしてゆがみ柱あり、三疊の客間東の方に續き、櫺子窓南によせて入口に引戸があり、躪上には間半でかけ込天井・突上窓がある。
(略)
後者によれば閑雲軒は泉坊東北の崖上に設け松花堂に至る廊下傳ひの待合の席である。
小堀遠州の好みで長く三疊外一疊半で降雨の際には此の席を經て通つた。

前者は割と普通の席。
後者は崖の上にある風光明媚な茶室。
遠州好みということはごく普通の茶室に思えるが、通路としても使えるというのがちょっと解せない。今日庵の溜精軒みたいなものだろうか?

昭乗は晩年寛永十四年に瀧本坊の南の丘、即ち泉坊の東北に一宇の方丈を作つて松花堂と稱した。何故に松花堂と稱したかといふ事に就いては傳つてゐない。
(略)
此は『行状記』によれば寛永十四年の建立となるが、此は佐川田昌俊の誤で事實はさらに早く出來たものであらうといふ説がある。
且つ松花堂の印章のある書畫が相當に存在して居る點から見ても没するまで僅か三年では短すぎるといふ説が有る。

とりあえず商売上の理由で「松花堂」の號を使っている期間が長いほど助かる人がいることはよくわかった。


現存の松花堂に関しては、移築により昭乗の時代とどの程度同じか判らない。

だけど、二畳なので茶室専用である。

崖に茶室作ったり、二畳の他に転用しようもない茶室を作るんだから相当の茶狂いである。

…山奥に修業に引きこもったり出来そうもないタイプの人だったんでは…。