床の間の構成 装飾編6
彫刻について:
要するに我國の彫刻美術は上古より飛鳥時代、奈良時代、藤原時代、鎌倉時代までが主に佛教美術を取扱ひ、足利時代以後は肖像彫刻や能面彫刻が發達し、桃山時代に入つてはじめて装飾的な建築彫刻が盛んになり、徳川時代になつて純然たる装飾彫刻があらはれた。
即ち足利期より發生した床の間の形式が、各住宅建築に際様せられるやうになつて、
その飾りものや置物に適はしい彫刻が創始されたのである。
床の間は、ギャラリーである。
しかも、無色透明な。
もし、絵や一行書を飾っていいのが仏間の専用スペースであったら、日本美術は仏画しか許容できないまま近代を迎えていただろう。
あるいは襖絵ばかり発達していたかもしれない。
その場合絵を流通させる商人は生まれず、有名画工の頼まれ仕事ばかりになる。
近來郷土藝術と稱して樣々な彫刻物がわれ/\の眼前に展開してゐる。
その主義主張に對しては甚だ共鳴するのであるが、果して床・棚・書院に對する装飾的価値があるかどうか。誠に覺束ないものではなからうか。
この部分、郷土玩具発掘や民芸運動への批判でなかろうか?
かわいいと思うんだけどね、土佐人形や犬張子。
即ち近代彫刻は餘りに作品主義に流れ、彫刻が室内装飾の構成物になつて、優雅な
趣味として我々の眼を樂しませて呉れるものは少ない。
寧ろ床の間置物として決定的に賣出されてゐるものには低級な彫刻が多い。
芸術品としての近代彫刻は押しが強すぎる。
逆に鮭くわえた熊みたいなのも駄目だと。
私は、現代では床の間は廃れている、と考えている。
いまや茶趣味でもない限り、わざわざ床の間を作ったりはしないだろう。
では、現代ではどこが床の間の代わりのギャラリーになっているんだろう?
掛物に代わる美術展示スペースは、壁でまぁなんとかなる。
彫刻工芸は、おそらくあそこが床の間の代わりになった。……そう、テレビの上。
そしてテレビが液晶化した今、床の間の機能は死に絶えたんだろう。