床の間の構成 装飾編7
書道:
次いで江戸時代に入り古筆手鑑等を作つて、之を賞翫することが盛んになり、床の間の形式がます/\室内の装飾鑑賞の中心となるに及んで、他の繪畫、工藝の進展と共に能書家も出現した。
漆芸:
徳川期に入るに及んで、すべての工藝界の工匠は主に武家の御抱へとなり、悠々その技術に従事することが出來て、装飾的精美に意を用ひ、漆工藝は殆んど進歩の極みに達した時代である。
金工:
次いで徳川期に入つて各々工藝品の工匠は武家の御抱となつたが為に、悠々その技術に従事することが出來て、装飾的精美に専ら意を用ひ、装飾彫金工の如きも、寛文元禄には横谷宗珉等出でゝ町彫を創め、一種の繪風毛彫を創立したのである。
木工:
桃山時代より徳川期に入り、豪華な建築と共に木工品も華麗なものが作られ、一方茶の湯の發達に隨つて簡素な木竹工品も作られた。
陶芸:
其後徳川時代となつて、前代の茶道の流行を追ふてます/\陶瓷の製作に新趣を加へられ、小堀遠州の斯道の宗匠の器物にも新意が加はり、古色ある志戸呂燒、信樂伊賀等は遠州好みとして出た。
つまり、我々の知っている日本の形は、ほぼほぼ徳川期に成立したもので、その舞台は床の間だった。
床の間という発表の場所を得たからこそ発展も普及もした文物ってのは結構あるのかもしれない。
思ってたより床の間の、現代に与える影響ってでかいのかもしれない。