大森宗晋“茶の湯・心と形”。

茶禅一味にちなんで、禅についていろんな茶人家元が語っている。が、大森さんはひと味違う境地にある様に思う。

私は、ある和尚に次の様な言を聞かされたことがある。
「禪門では、弟子はそう沢山育成する必要はないのだ、ただ一人でよいから本物を養成すればよい。それで充分である」と。
(中略)
本物を育成するためには、先ず、己が本物でなければならない。これは、大変なことである。

この噛み砕き方は素晴らしい。しかも、ご当人が家元であり、茶禅が一味である事を考えれば味わい深い。

「禪と老子とはどう違うのでしょうか」
この問いに対して泥龍老師は次の様に答えられた。
老子には思想はあるが法がない」と。

ちょっとカッコイイ会話。この問いに、こう答えられる泥龍老師はカッコイイが、こう問える大森家元もカッコイイ。


…そうか、他の茶人の本の禅の話って所詮「俺はどこそこで修行してこんなに判った」的な書き方なんだけど、大森さんは「俺が判ってるかはともかく俺の禅はこう考えるよな」というスタンスなんだな。