江戸千家と不完全相伝

芸事の家元制は、不完全相伝と一子相伝により成り立っている。簡単にいうと、思わせぶりっこと家柄で成り立っている。

  • 技術は家元から弟子に伝授されるが、誰にどういう技術を伝授するか、に関しては家元が直接あるいは間接にコントロールする権限を有する。
  • 完全な形での伝授は家元から次代の家元に対してのみである。

これで流派の権限を家元に集中できる…ってことになっている。

それに対し、武術は完全相伝制が基本。(愛洲)陰流→(上泉)新陰流→(柳生)柳生新陰流みたいな感じで、流儀の内容を変更するのも流派名を変えるのも、弟子の勝手である。

先生の手本を至高とする芸事と、時流と敵に合わせて進化しないと死んじゃう武術の差である。

三千家は家元としてかなりうまく不完全相伝制をコントロールできている気がする。それに比べ、江戸千家はそれほどうまくいっていない感じだ。

まず第一に、一子相伝がうまくいっていない。先代家元の弟と子、両方が家元になり流派が分裂している。弟さんは口卒啄斎をサポートした不白みたいになってやりゃいいのに、と思うけど、そうもいかんのかな?

第二に、割と分派ができやすい。雅流とか都千家とか。都千家など「社中みんなでスピンアウト」って感じで分派している。

実は不完全相伝制にしても、一子相伝にしても、実利のレベルでは無意味で、あくまでも権威付けの一環に過ぎない。

一子相伝で「家元to次の家元」にだけ伝授されるナニカ、とか、家元の許しを得ての資格取得とか、そういったものは「家元に世襲の権威があると認めている人」の間でしか意味をなさない。「そんなのかんけーねー」と流派から独立する気になった人を止める力にはなりえない。

「信じる者は救われると言うが、信じるから天国に行けたり地獄に落ちたりする。信じていない人に救いは関係ない。天国も地獄もない」という坊さんの言葉を読んだ事があるが、それとおんなじである。

そういう意味で川上不白の血脈ですよ…というのは千利休の血脈ですよ…に比べ、求心力を欠くというか、反逆しても怖くない…みたいなクラスにあるのかもしんない。