家元制は家元がヤな人だった時にはじめて問題になる

私は家元のいない茶道流派に身を置いている。

実は家元がいないというのは、その分、師匠がぐっと絶対的な存在になるだけだったりもする。

ま、会った事もないどっかの誰かが絶対的な存在であるよりは、目の前にいる師匠が絶対的な方が気楽といえば気楽だし、恐いといえば恐い。厳しくまっすぐな師匠なので、ありがたく思っている。


自分に教えてもくれない遠くの人が、流派で一番偉い、とかいうのはどんな気分なんだろう?とか想像しても、実は良く判らなかったりもする。

なんか面倒そうな気はしているが、どんなもんだろうね?


とりあえず家元制自体と家元本人への好き嫌いは峻別しているつもりだ。

好きな家元だっている。

  1. 武者小路千家 不徹斎 … 親子愛がたまらん
  2. 裏千家 坐忘斎 … なんかイイひとそう。
  3. 藪内流 青々斎 … なんかセンスがいい…気がする…だけかも。

この辺の方々は尊敬まで行かんけど、好意を持って見ているぜ。


嫌いな家元は…まぁいろいろいる。センスの悪い人とか後継争いしてる人とか。
けど、いまんとこ松尾流が私の最悪だ。

前にも書いたけど:

http://www.matsuoryu.com/tokucho.html

濃茶用には当代は寅年生まれということにちなみ、竹は寅竹でからみ糸は緑の糸を使った茶筅を用いております。

なんて当代が死んだら廃れる事を流儀に取り入れるのはどうか?とか思っていた。


http://www.matsuoryu.com/tyakai.yumiko.html

「弓子さま成人祝茶会」

誰よ?弓子って。

たかだか20歳になった事が、オフィシャルページでさま付けされて祝われる人って、どこのお姫様?名字無しで様付けされるんだから、皇族かなんかか?

とか思って嫌な気分になる。


こういうヤな家元が自分の師匠の上に君臨していたら…と思うと、ぞっとする。

家元制ってのは家元がある程度いい人を演じたり、空気の様な存在になってくれないと辛いんじゃないかなとか思っている。