官休庵の立ち位置

田中喜三郎「日本茶道論」。
この本の序言は当時の武者小路千家家元、愈好斎である。

近重物安著「茶道百話」。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20090123
これも愈好斎の前書き。


どっちの本も主流派の出す内容の本ではない*1と思う。


こーゆー本を推薦して出す。愈好斎という人からは、なにかラディカル、というより若干アナーキーよりなものを感じる。

おかしいな、久田家から養子に行った人である以上、主流派であってもいい筈なんだが。


養子の有隣斎は無頼なイメージ。

林左馬衛「茶道史の散歩道」のインタビューより

林 話はかわりますが、私は、今日の茶道は本質的に女性文化史である点が過去の茶道史と異なる、と考えたいのですが…。
(中略)
家元制度社会とか、教授体系の固定化とか、大寄せ茶会とか、どれもこれも、女性的な神経で裏うちされているように、思われてなりません。
千 ハッハッハッ。ご婦人はしばられることが好きですからな。(笑声)

こんな受け答え、商売考えたらそうそうできるものではない。


武者小路千家、という茶家のポジションが、彼らをしてそうさせたのではないか?と考えている。


私の認識では表千家は正統/伝統が売りの流派。
近年ではそれが故にか家元個性は埋没しがちな気がする。…そういや顔もしらねえや。その分堀内家など脇宗匠が元気でおもしろいが、それも家元がどっしり正統をやっているからだと思う。


裏はむろん最大流派。
広報システムと研修システムがしっかりしていて、家元がいろいろ変わった事を提案して音頭を取る分、下はついていかないといけなくて大変そうだ。つーか家元が頭わしづかみにしてひきずり廻すイメージ?


表と裏が伝統と人気の二大政党の様になっている中で、存在感を示しつづけないといけない武者小路千家は、ちょっと変わった事をやる事が運命づけられているんじゃなかろうか。


御当代は良く判らんが、現在の若宗匠にもちょっとそういう傾向がある、気がする。
ただ、若宗匠のやっている事が武者小路千家として正しい方向なのかはよー判らん。


「雨にもまけず粗茶一服」には、パンクに走る家元長男、というのが出て来る。

実際問題家元の息子がパンクやろうがポエムやろうが流派的には構わんだろう。なぜなら、それはお茶と全然違う事だから。逆に伝統のお茶に似て、でも非なる事をやったら、親としては結構困るんではなかろうか?


宗匠のやってることがちょいとそーなんじゃないかという懸念がある。でもパパさん、めちゃめちゃ若宗匠を溺愛している様に見えるので、もしそうでも止めたりしないんだろーなーとか思ったり。


それも含めてこれからの武者小路千家には期待していたりする。…無責任にね。

*1:主流派の本というのは角川選書 数寄 by多田侑史みたいな奴で、タイトルで近代数寄者の本かと思って買ったら今日庵礼賛本だった、みたいながっかりする奴の事だ。