曲尺割の実際

曲尺割に関し、曲尺割通りに置く事が美的なのだ、という人が居る。
そういう人は大抵曲尺割の話の中に「西洋で言う黄金分割」という。

本当かな?

では曲尺割にしたがって幅3尺の自作置床(板床)に、花入と香合を置いてみる。

本当は茶室の陰陽はトータルなのでここだけみても仕方が無いが、とりあえず花入を陽のカネに、香合を陰のカネに置いてトータルを陽とする。

南方録でいう「常ノ道具、スリガネト云コトナシ。皆三分一ナリ」に従い、それぞれカネの線に1/3ずれる様に配置する。






どれも曲尺割のルールは遵守しているが、どうだろう?

…少なくとも「全て美的な配置になっているね」とは言えないと思う。

ついでに、曲尺割無視して適当に「こんな感じがいいんじゃね?」と置いたのが下の奴。

曲尺割、というルールは、「ルールを守ると美しい」という様な原則ではなく、そういう理由以外の部分で守らねばいかんという制約にすぎない、と思うんだ。


んで、曲尺割の配置の美、というには、曲尺割というルールに従って配置した上で、その組合せの中から美的な配置をみつけにゃならん、という事なのではなかろうか?