贋物の話

江守奈比古の“お茶の話 茶人のわびとさび”より、贋物の話。

骨董品は真贋がどうとかいう話ではなく、値段だ、といのが著者の割り切りである。

また、この贋物の元凶のように思われておる古美術商は−といっては失礼かも知れないが、業者(古美術商のこと)の一部はどうしておるかというと、案外正直なのである。
業者は全部品物の善悪−それは時代の古い新しい、また同時代でもよく保存されたものと保存の悪いもの、でき上りの善悪など全部を含んで−を価格で表示する。

ぶっちゃけると↓こういう話。

業者は五十円の棲鳳で満足されるお客には五十円の品物を届けておく、千円の棲鳳を鑑賞する顧客には千円の棲鳳を納める。万事は値段で見ていただくというのが商法である。

私は、骨董に限らず、専門業者が扱うものに一般的な意味での掘り出し物はない、と思っている。掘り出し物があったら、それはその業者がプロの仕事ができていないという事である。

だから、この値段論には非常に納得できた。


もちろん、他人にとってはゴミでも、自分にとっての掘り出し物、という物はまた別。
私の流派の本なんて、私にとってはお宝だけど、他の人にはゴミだろう。だから面白いともいうんだけど。