古事類苑18 石灯籠
くそ長いので要約のみ。原文はここ。
http://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/html/yugi_1/yugi_1_0594.html
南龍公言行録より:
徳川頼宣の江戸屋敷へ、頼宣所持の遠州作の石灯籠を拝見させて欲しいという申し入れがあった。頼宣はご機嫌で、茶会の準備の為に庭自体作り替えて待とうと庭師を呼んだ。
折悪しく千宗左、千賀道味は不在。
庭師は「この石灯籠の日形月形の小窓狭くよ、いまどきどうよ?」と奉行蔭山宇右衛門に伝え、石工を呼ばせ、火袋の窓を拡げてしまった。
その夜、宇右衛門の報告を受けた頼宣は当然激怒。腰の刀に手が掛かる。70メートルばかりあとずさって平伏する宇右衛門。
ここでぐっと我慢した頼宣、重臣の加納直恒を呼んで命令した。
「そういえば灯籠は二つ作らせてあった、一個は苔を付けようと紀州の薮にほうりこんである。急いで取り寄せてくれ」
早飛脚が紀州へ向かい、指定の石灯籠を鯨船に乗せ、昼夜漕ぎ続け、八丁堀へ陸揚げ。千宗左が受け取りに行き、なんとか間に合った。
二十年余り林の中でさらした石灯籠は千年経ったかの様に古び、前の灯籠など物の数にも入らないすばらしさ。
頼宣のご機嫌は直り、石灯籠をのざらしにした知恵に一同(含む千宗左)は感涙にむせび、茶会も大成功であった…。
もうなんだか。さすがに御三家ともなるとナンデモアリって感じです。
実をいうと表千家の紀州藩出仕は、京都と和歌山を往復してたんかな、と先入観で思っていたけど、参勤交替は1年毎に領地と江戸を移動なんだから、江戸屋敷に出仕して当然だったんだね。結構大変です。