道安囲いと宗貞囲い

はなこさんより昨日のエントリに関し、道安囲いの分類を御教授頂いた。

  1. 広義:
    1. 点前座と客座の間に火灯口を伴う袖壁が立つ形式を全て「道安囲い」と呼ぶ
  2. 狭義:
    1. 「道安囲い」広義の道安囲いのうち、炉が出炉のもの
    2. 「宗貞囲い」広義の道安囲いのうち、炉が向切のもの

私は向切の淀看の席イコール道安囲い、という先入観があったので非常に驚いた。


そこで資料に当たってみた。

まず"茶道辞典"(1979年)から。

道安囲

客座と点前座の境に中柱を立て、仕切壁を付け火灯口をあけた構成の茶室。

宗貞囲

堺の平野宗貞の所持していた茶室の型式で、道安囲と同様の構成を示していたという。
平野宗貞は存疑。

茶道辞典的には同じもの?



"図説茶室の歴史"中村昌生(1998年)より:

淀看の席にはどんな特色がみられるのですか。

(中略)
点前座は炉を向切とし、左側に一重棚を吊り、炉の前かどに中柱を立て、客座に仕切壁を付け、火灯口をあけています。
客座と点前座の間に仕切壁をおき火灯口で繋ぐ構成は道安囲であります。

中村昌生さんは宗貞囲を道安囲と言っている。広義の道安囲として捉えているのかもしれない。



"茶室茶庭"重森三玲(1934年)より:

平三疊の席
(西翁院淀看席)

この寫眞は北の窓から撮つたもので、全部化粧屋根裏を見せ、珍らしい形の道安圍を設け、向ふに淀看の窓をつけた三疊の席である。

これも宗貞囲を道安囲として扱っている。

しかし、よく読むと中柱に関する記事の中で以下の文がある。

又、道安圍と云つて、こゝに杉板などを張り、花頭口をつけたものもあつて、有樂好の暦席や、遼廓亭、又は庸軒好の淀看席や、點雪堂のものは何れもこの道安圍となつてゐる。

あー…如庵の中柱に付いている、とても茶道口にならない飾りみたいな板も道安囲扱いか…広義すぎるざます。


私の持つ資料では残念ながら御教授頂いた裏が取れなかった。
だが「はなこさんのウソツキ!」という言いたいのではない。むしろその逆である。

いくつかの本を読んでみて、茶室の研究というのは、ひょっとするとつい最近に開始された分野なんではないか?と思った。重森三玲あたりでこのいい加減さだもん。茶道全集の茶室編なんて、一冊まるまる茶室の本なのにろくな情報がない。

なのでまだまだまちまちな事が言われている、んで、私は古本中心にしか読んでいないので最近の動向を知らないんだろうな、と思った。


なお中村昌生によると、道安囲タイプの茶室の初出は慶長十三年二月二十五日の松屋久重会記で、京都千宗旦の茶室。

確かに宗貞囲の図があり

アキテアリ、中ハシラ クハトウ口

となっている。

ただし道安囲という名称は使われていない。

道安囲という名称の初出と、それ以前の呼ばれようを知りたいなと思うが、見つからんのよね…。